これは、もみじ銀行(旧広島相互銀行)の芸陽バス停(本川通)にある石造の祠である。未だ広島相互銀行だった頃に旧ホームページにも載せたが、この祠の解説板に描かれた竹原の塩田地図が詳細すぎて興味深いのである。



#01-03:もみじ銀行の塩田跡(2020/06/16撮影)
この説明板のタイトルは「旧2番浜跡」だが、これだけでは何のことかサッパリだろう。この銀行がある辺りは竹原の旧塩田跡地だった場所で、塩田全体は細かく区画されており、ここは一番浜と二番浜の境界付近だったらしい。一番浜と二番浜の境の土手に有ったのがこの祠ということである。当時の位置そのままなのかズレているのかまでは分からないが、塩田の守護神のようである。説明文の右隣りに地図が描かれているのだが、どこら辺りに祠が有ったのかの印はない。


#04-05:解説板(2020/06/16撮影)
地図のみの画像を拡大すると分かるのだが、一番浜と二番浜の境界は「創建ホーム」角から日の丸写真館辺りまでの「新町」の通りのようである。現在の新町交差点から「あいふる316北」までとなるので祠が有った位置と「もみじ銀行」はズレがあることが分かる。
祠の位置よりは地図に書かれた地名が興味深い。この境界の土手は「旧明神道」、新町交差点~住吉神社の旧国道185号の付近に流れている「セド川」(背戸川)、創建ホームから神田もち店辺りの旧地名「北ホリ」(北堀)、消防署がある山(近九郎風伏山)、江戸堀沿いの道(明神道)、本川商店街~内港辺り「本川ホリ」、三井金属辺り「ナカホリ」、アヲハタ辺り「コイトコホリ」などである。また、呉線も引かれており、賀茂川は「成井川」となっている。この地図は明治43年当時の竹原塩田図で、昭和生まれにしか通じない懐かしい地名などがたくさん見つかるのである。



#01-03:もみじ銀行の塩田跡(2020/06/16撮影)
この説明板のタイトルは「旧2番浜跡」だが、これだけでは何のことかサッパリだろう。この銀行がある辺りは竹原の旧塩田跡地だった場所で、塩田全体は細かく区画されており、ここは一番浜と二番浜の境界付近だったらしい。一番浜と二番浜の境の土手に有ったのがこの祠ということである。当時の位置そのままなのかズレているのかまでは分からないが、塩田の守護神のようである。説明文の右隣りに地図が描かれているのだが、どこら辺りに祠が有ったのかの印はない。


#04-05:解説板(2020/06/16撮影)
地図のみの画像を拡大すると分かるのだが、一番浜と二番浜の境界は「創建ホーム」角から日の丸写真館辺りまでの「新町」の通りのようである。現在の新町交差点から「あいふる316北」までとなるので祠が有った位置と「もみじ銀行」はズレがあることが分かる。
祠の位置よりは地図に書かれた地名が興味深い。この境界の土手は「旧明神道」、新町交差点~住吉神社の旧国道185号の付近に流れている「セド川」(背戸川)、創建ホームから神田もち店辺りの旧地名「北ホリ」(北堀)、消防署がある山(近九郎風伏山)、江戸堀沿いの道(明神道)、本川商店街~内港辺り「本川ホリ」、三井金属辺り「ナカホリ」、アヲハタ辺り「コイトコホリ」などである。また、呉線も引かれており、賀茂川は「成井川」となっている。この地図は明治43年当時の竹原塩田図で、昭和生まれにしか通じない懐かしい地名などがたくさん見つかるのである。
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