1980年代、は田万里町の国道2号線ヘアピンカーブは片側1車線(カーブ前のみ登坂車線有り)の対面交通だったと記憶している。(自信はない・・・)ここがいつしか三原方面ルートと西条方面ルートに分離され、既存道路が西条ルートの2車線化、三原方面ルートが2車線の新道となった。
 初めてこの新たな区間を写真に収めたのがデジカメが黎明期だった頃の1996,7年頃。あれから約24年が経過した2021年に改めて両ルートを撮り直してみた。(2021/07/27撮影)

 マップで示した赤線が西条方面ルート、青線が三原方面ルートである。今回は両ルートの分離点から竹原市(田万里町)と東広島市(三永)の境界線辺りまでとし、三原方面ルートは敢えて側道を走ってみた。
#00
 先ずここが分離点である。標識の通り、ここから先は上下それぞれ別々の2車線となる。
#01
 このアーチはNシステムなのだろうか?
#02
 ここからの2車線は左が登坂車線同様の扱いとなり、低速車は左へ避けて走るのが暗黙のルールである。
#03
 曲がるにはかなりの危険と無理があるが、三原方面ルートが走る右側壁面には2,3ヶ所の狭いトンネルが有り、三原方面ルートへUターンすることができる。
#04
 三原方面ルートとは徐々に間が開いて見えなくなる。
#05
 このポイントが三原方面ルートとの立体交差である。
#06
 ここを過ぎると上下分離の名残りである3車線になる。左が登坂車線、中央が追越車線的に使われ、右は三原方面の下り車線になっていた。当時は、上下車線を仕切るポールが並んでいたと記憶。
#07
 殆ど使われない登坂車線区間が終了すると、その先には魔の?ヘアピンカーブの予告標識がある。
#08
 この辺りから勾配が徐々にきつくなり、坂を登るチカラがない車はスピードが低下。
#09
 そして、いよいよヘアピンカーブが訪れる。50km/h程度に減速しないと、強いGによって左車線は右車線、右斜線は路肩へ向かってスライドしてしまいそうな恐怖に見舞われる。
#10
#11
 昔はこのカーブ部分に何かの建物が有り、車線から反れて停まる事かできた。
#12
 ここが一番キツイ急カーブ。
#13
 カーブを過ぎると勾配はなだらかになり、右カーブで田万里隧道の入口となる。
#14
 ここが田万里隧道。分離前はこの中を対面通行していた。
#15
#16
 隧道を抜けるとすぐにもう一本の隧道となる。
#17
#18
 この隧道入口から東広島市となる。
#19
 

 ここからは三原方面ルートの写真となる。竹原市の境界標識は撮り損ねたが、ここは既に竹原市エリアである。下り坂は徐々にキツくなり、エンジンブレーキを効かさないと制限速度オーバーとなる区間である。もちろん、そうなるポイントには、帰省時期に移動式オービスが設置されているのを何度も見かけている。
#20
 そして長いトンネルが訪れる。
#21
#22
#23
#24
 トンネルを抜けると更に速度が増す。
#25
 今回は敢えて側道へ反れてみた。その目的は田万里川沿いへ抜け出るトンネルが有りそうだからである。
#26
 そのトンネルが有った!ここから国道下を潜って「珍古堂」へ。諸事情で旧国道へは進めず、その後は再びここに戻ってきた。
#27
 ここには芸陽バス停「熊野神社」が有るが、西条方面からの芸陽バスに乗った時に、ここを通ったような覚えがないような・・・。芸陽バス路線図を確認すると「熊野神社」が有った。
#28
 トンネルの両面には「岡山」と「広島」の方向案内があるが、広島方面へは車両は進入禁止。
#29
#30
 トンネルから「岡山」方面への側道を更に下る。
#31
#32
#33
#34
 今度は「上田万里」バス停。
#35
 更に側道を下ると、国道への合流となる。(合流しないと民家への私道となる)
#36
 三原方面ルートに合流。
#37
#38
 「かぐや姫も見守っている安全運転」の看板。
#39
 続いて「ようこそ安芸の小京都たけはらへ 道の駅たけはら 13km」の看板。
#40

以上、この遥か先にて1車線となる。