これは2018年正月に撮っていたナフコ/藤三の入口にある「sushi花館 小僧寿し竹原店」である。いつからなのかは分からないが、閉店どころか2019年10月の帰省時には更地となっていることに気が付いた。前日に「レストランらんぷ」で昼食した際には気が付かなかったことがショックだったのか更地を撮り忘れたようだ。小僧寿しの公式ホームページにある広島県店舗一覧では広島市店しか掲載されてはいなかったが、検索エンジンではたくさんの竹原店の「残骸」が写真地図も含めしっかりと残っている。さすがにGoogleMapは更新が早いのか2018年11月のストリートビューでは更地となっていた。更新しない、消さないまま仮想空間に残されたデータ、これも「デジタル遺産」のひとつの形態といえよう。2018年正月から更新しなかったこのホームページも他人事ではなく「デジタル遺産」となっていたかもしれない。
旧ホームページ記事
【旧HP】2022 普明閣 倒壊の危険
更新放置から1年と10ヶ月が経過し、帰郷まで半年を切ったが、準備はできているものの重い腰は上がらない。
原因や言い訳は色々とあるが、今まで惰性で回っていた駒が砂地にハマって止まった状態である。
帰省最終日に普明閣で充放電をしたくなったので西方寺を訪れ、本堂前で祈願を済ませてから普明閣までの石段を上がった。
そしてこの看板「倒壊の危険 上がれません」が目に留まる。
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5月の帰省で訪れた時には普段通りに甍の波が見渡せたはず。
あれから約半年、倒壊情報は入ってこなかった。改めて調べてみると6月頃から入場禁止となったようである。確かに釘の錆具合や板のカビからある程度時間が経過しているので、最近ではなさそうだ。だがその直後に開催された「憧憬の路」に訪れたツイートを検索してみると、薄暮の舞台に上がる観光客の姿が写真掲載さているではないか。それが去年の写真だったのか、今年のものかは文面からは分からなかった。
普明閣・・・ここは私の原風景
ここで母が見合い写真を撮り、父が月給数ヶ月貯めて買ったオリンパスPenで初めて撮った家族写真がこの境内、小学校の道草はいつもここ、そして時が経ち離郷して1年後の1983年春に観た映画「時かけ」のロケ地がここなのである。目をつぶれば浮かぶ風景がここ、竹原といえば先ず普明閣を思い浮かべるようになった。それから帰省の度にノスタルジーを募らせて写真やビデオを撮り、デシカメとインターネットの黎明期に始めたのが、このホームページである。竹原から離れて暮らし、故郷の良さを初めて知る・・・歳をとって戻りたくなる故郷、それが竹原なのである。
そのような人は私だけでないはず。
一度、止めてしまった駒は自力では回らない。
その駒を回してくれたのが先週開催された関東支部の高校同窓会での先輩である。「ずっと前から見てましたよ、竹原に戻りたかったけど無理かも、再開を楽しみにしてます」
そして今日観た録画「時かけ(2006年アニメ版)」の「Time waits for no one.」で砂地から脱出し、久しぶりに開いたホームページの表紙の文を見て駒が回り始めた。
「故郷の竹原が恋しくなったら、このアルバムを開いてみてください。きっと、消えかけていた懐かしい想い出がよみがえることでしょう。」
原因や言い訳は色々とあるが、今まで惰性で回っていた駒が砂地にハマって止まった状態である。
帰省最終日に普明閣で充放電をしたくなったので西方寺を訪れ、本堂前で祈願を済ませてから普明閣までの石段を上がった。
そしてこの看板「倒壊の危険 上がれません」が目に留まる。
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5月の帰省で訪れた時には普段通りに甍の波が見渡せたはず。
あれから約半年、倒壊情報は入ってこなかった。改めて調べてみると6月頃から入場禁止となったようである。確かに釘の錆具合や板のカビからある程度時間が経過しているので、最近ではなさそうだ。だがその直後に開催された「憧憬の路」に訪れたツイートを検索してみると、薄暮の舞台に上がる観光客の姿が写真掲載さているではないか。それが去年の写真だったのか、今年のものかは文面からは分からなかった。
普明閣・・・ここは私の原風景
ここで母が見合い写真を撮り、父が月給数ヶ月貯めて買ったオリンパスPenで初めて撮った家族写真がこの境内、小学校の道草はいつもここ、そして時が経ち離郷して1年後の1983年春に観た映画「時かけ」のロケ地がここなのである。目をつぶれば浮かぶ風景がここ、竹原といえば先ず普明閣を思い浮かべるようになった。それから帰省の度にノスタルジーを募らせて写真やビデオを撮り、デシカメとインターネットの黎明期に始めたのが、このホームページである。竹原から離れて暮らし、故郷の良さを初めて知る・・・歳をとって戻りたくなる故郷、それが竹原なのである。
そのような人は私だけでないはず。
一度、止めてしまった駒は自力では回らない。
その駒を回してくれたのが先週開催された関東支部の高校同窓会での先輩である。「ずっと前から見てましたよ、竹原に戻りたかったけど無理かも、再開を楽しみにしてます」
そして今日観た録画「時かけ(2006年アニメ版)」の「Time waits for no one.」で砂地から脱出し、久しぶりに開いたホームページの表紙の文を見て駒が回り始めた。
「故郷の竹原が恋しくなったら、このアルバムを開いてみてください。きっと、消えかけていた懐かしい想い出がよみがえることでしょう。」
【旧HP】2021 NEW きり屋
竹原の元旦といえば先ず思い出すのが「きり屋」。但し、掛町にあった旧店舗である。地獄の釜の蓋も開く元旦に唯一開いている店が「きり屋」だったのだ。元旦に掛町の親戚一同が集まると、それぞれの家族の子供たちは普段と違って大人しくソワソワ。親同士でお年玉がやりとりされ、お互いに調整されてからやっと手渡され「きり屋へ行かんと貯金しんさいよ」と言われる。陰で中身を確認し、こっそりと外に駆け出して15秒も走ればそこは「おもちゃの国」なのである。
掛町から駅近くへ店舗が移転して「おもちゃのお城」になってからは訪れることは無くなったが、毎年元旦には開いているようであった。その「おもちゃのお城」が昨年に改築されマンションの1階が店舗となり、もう「お城」とは呼べなくなった。あのドップラー効果たっぷりの宣伝カーもどう唄を変えるのか、テレビCMはどうなるのかは分からないが、ある意味伝統であった元旦からの開店は続けてくれているのかを確かめに傍を訪れてみた。
この通り開いていた。駐車場を見ると客も来ているようである。あの頃からは店主の代はもう代わっているが、いつまでも「元旦に開けてくれているおもちゃの国」であってほしい。
掛町から駅近くへ店舗が移転して「おもちゃのお城」になってからは訪れることは無くなったが、毎年元旦には開いているようであった。その「おもちゃのお城」が昨年に改築されマンションの1階が店舗となり、もう「お城」とは呼べなくなった。あのドップラー効果たっぷりの宣伝カーもどう唄を変えるのか、テレビCMはどうなるのかは分からないが、ある意味伝統であった元旦からの開店は続けてくれているのかを確かめに傍を訪れてみた。
この通り開いていた。駐車場を見ると客も来ているようである。あの頃からは店主の代はもう代わっているが、いつまでも「元旦に開けてくれているおもちゃの国」であってほしい。
以下 以下は昨年夏の改築完了時の「きり屋」である。カラオケ店の空き店舗だったとなりの仮店舗が解体されている最中で、ここが後に駐車場となるのである。この時は気が付かなかったが、ディズニーに登場しそうなキノコの両脇にKT(KIRIYA TOY)と書かれたマークがある。お城をモチーフにしたマークだった気もするのだが、これが前からの商標みたいである。
【旧HP】2020 かぐや姫マンホール蓋
今年は「マンホールカード」が一部マニアの間で静かなブーム?だそうで「道の駅たけはら」にこのような幟と、この幟に載せられた「かぐや姫マンホール蓋」の実物が2Fに展示されており、店員から実際の「マンホールカード」をレジで見せられた。その時は「差し上げます」とは言われなかったのでカードは各市町村で販売されており買うものだと思っていたのだが、どうやら一人一枚が限度でロハで配布場所にて直接貰えるものであったようだ。それを知っていればネタとして貰っていたのだが・・・。
「かぐや姫マンホール蓋」については、かなり前から色々と撮ってきたが、そこに展示されていた「かぐや姫マンホール蓋」は鋳物に色付きなのである。この「マンホールカード」を機に色付きのマンホール蓋へ交換された場所が市内のどこかにあるに違いないと、水道課の近くや水源地、下水処理場等をくまなく探し回ったが見付からずじまい。テレビで紹介されていた他の自治体では地面にはめられた色付き蓋が映されていたので竹原でも何処かに有るはずである。
南は的場から北は東野町まで、西は大井、東は地蔵町辺りまで自転車で巡って分かったこと。それは「かぐや姫マンホール蓋」は以下の大中小サイズ3種類が存在し、中サイズに色を塗った「道の駅たけはら」のを加えて4種類あること。
「かぐや姫マンホール蓋」については、かなり前から色々と撮ってきたが、そこに展示されていた「かぐや姫マンホール蓋」は鋳物に色付きなのである。この「マンホールカード」を機に色付きのマンホール蓋へ交換された場所が市内のどこかにあるに違いないと、水道課の近くや水源地、下水処理場等をくまなく探し回ったが見付からずじまい。テレビで紹介されていた他の自治体では地面にはめられた色付き蓋が映されていたので竹原でも何処かに有るはずである。
南は的場から北は東野町まで、西は大井、東は地蔵町辺りまで自転車で巡って分かったこと。それは「かぐや姫マンホール蓋」は以下の大中小サイズ3種類が存在し、中サイズに色を塗った「道の駅たけはら」のを加えて4種類あること。
中サイズをハニカム地の大枠にはめ込んだのが大サイズで、中サイズのドット上の部分が放射状になって1/2程度に縮小されたものが小サイズのようだ。特殊な工具で開け閉めする穴のサイズを合わせて合成して並べたのが以下である。個人的にはカードにするよりは実物のディテールを忠実に再現し縮小スケール(例えば10円サイズ)した鋳物ならば買ってでも手に入れたいが他の自治体のものは只でも要らん。
【旧HP】2019 大乗小の堤防アート(平成23~28年度)
「1632 大乗小の堤防アート」「1829 大乗小 平成26年度卒業記念画」に続いて竹原町から自転車で様子を見に行った。こうやって向かって左から撮ってみると「平成28年度」「平成27年度」「平成25年度」「平成24年度」「平成23年度」「平成26年度」となぜか平成26年度だけが順になっていないことが分かった。これを撮ったのは5月なので8月には平成29年度卒業生の画が描かれているはずだが、正面から見える直線スペースはもう左端に半分サイズしか残っていないし、警察署と農水省による不法投棄の警告看板もコンクリ釘で取り付けられている。よって、30度曲がった部分も含め半分半分で描かれたのか、隙間が開いて曲がった先から先に描かれたのかが気になるところである。そしてこれから何年目で堤防スペースが完全に埋まるのかも・・である。