安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

秘境

 薄暮の19時半を過ぎた頃に『ホタルの里』がある(あった?)仁賀小へ出発。国道2号の仁賀入口から県道333号を走って、仁賀小入口を過ぎた石戸方面への分岐道から仁賀地域交流センター前に降りた。その区間、対向車とは1台もすれ違わなかったが、賀茂川に架かる橋を渡ろうとしたら仁賀小方面へ向かう車3台が通過。20時前に仁賀小をを目指す車の目的は、勿論、私と同じ「ホタル」の見物である。(2024/06/01撮影)

 当初、賀茂川を飛び交うホタルを撮る予定であったが、暗闇での撮影は素人には到底無理。仁賀小までのガードレール沿いには重装備のカメラマニアが数人。ヘッドライトを照らしての通過で申し訳なかったが、消すわけにもいかず前の車列に続いてダム下の駐車場に停めた。既に枠には20台以上は並んでおり、暗がりを歩いて仁賀小手前の河川敷へ。
#01

 徒歩の最中に手で払う程にホタルが飛んでいる光景を期待したが1匹もおらず。次から次へと訪れる車列のヘッドライトで蛍の光など見えず。仁賀小校庭前にも縦列駐車を試みる車が数台。
#02

 ・・・これはもう撮影どころか鑑賞も無理。仁賀ダム上流に住む親戚へ電話してホタルの飛び具合を聞いたが、殆ど見ていない(見慣れて気にしていなかった?)ようで場所の移動は諦めた。
#03

 暗がりの河川敷から恐る恐る川面を覗くと、1分間に1~3匹程度のホタルの光が見えた!LCD画面が煌々と光るデジカメやスマホで撮るのは、ホタル観賞ではマナー違反なのでLCDを消して慣れないビューファインターで撮ってみたが、緑の点が1つ写る程度で撮影は諦めた。
#04

 試しに30秒間シャッター開放で撮ってみたが何も写らず。田畑に無数のホタルの光が軌跡を残すような幻想的な撮り方は、明るいうちから定点で待機していないとダメらしい。(昼間と夜中で撮った写真を合成?)
#05

 20分程度、肉眼でホタル観賞した後に、仁賀小プール手前にあったホタルの解説看板を思い出して訪れてみた。時折り訪れる車のヘッドライトを浴びながら到着。撮った写真を帰宅してから確認すると看板前に立つ妖怪?が撮れていた。これはヘッドライトを背に浴びた私の影だと思われるのだが・・・。どうみても鬼太郎に出てくる妖怪やベム・ベラ・ベロの類にしか見えない。
#06

#07

 今回、仁賀小で観たホタルの光は、全く明滅しないものや3秒程度の周期で明滅するものであった。解説パネルにはこの辺りの賀茂川に棲むのは「ゲンジボタル」と「ヘイケボタル」だと書かれていた。

 ホタルの観賞は約20年ぶりだろうか。ニッカ柏工場の開放デーだったと思うのだが、社員食堂に暗幕が張られて網の中で飛び交っていた。自然の中で飛ぶ光景を最後に観たのは1970年頃の自宅付近だった。

 結局、予想通り写真撮影は失敗に終わったが、梅雨前に生で飛ぶホタルが観れたのは幸いであった。

-以上-

 毎年、忘れていて観る時期を逃している「ホタルの里」だが、小梨町で開催されてきた「おなしホタルまつり」は今年は中止となったようだ。小梨町での今年の見頃がいつなのか分からないが、夜中にあの「酷道」を走る勇気は無いので、ならば比較的夜中に走り易い仁賀町ダム下流の「ほたるの里」はどうであろうか?来週末頃からが見頃なのかを、今年は忘れずに常連鑑賞者へ聞いてみなければ。
 小梨町「ホタルの里」と仁賀町「ほたるの里」の看板で、ふと思い出したのが東野町在屋のどこかで見掛けた「在屋かいこの里」の看板。本日は夕刻となってしまったが、その看板の在り処を見付けたので撮っておいた。(2024/05/26撮影)
#00
 
 その場所は東野町の国道432号にある信号「水の口橋西詰」を左折。
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 あとは道なりに進むだけ。
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 しばらく走ると公園らしき敷地や墓地が見えてくる。
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 徐々に道が狭くなって鬱蒼としてくると・・・
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 右手に一瞬、薄れかけた白い看板が目に留まる。
#05
 
 ここを右折した先に有るようだが、ここから先は私道風である。
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 この看板には桑の葉と蚕の幼虫の絵が描かれている。
#07
 
 既に17時を過ぎているので展示館であれば閉館しているであろうし、一旦、先へ入ってしまうと袋小路で抜け出られない可能性があることから、今回は看板の撮影のみとした。
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 更に直進して「ト字」路を右折して在屋神社側へ戻る際に、先程の看板がある路地から抜け出られそうな道を見つけた。私道かは分からないが通って見れば良かった。
#10


 さて、この「在屋かいこの里」だか、何かの記念的建造物があるのか、この辺りが養蚕業で栄えていた場所なのか、ネットで調べた限りでは「ふれあいサロン」が定期的に開かれている「場所」がある事だけは分かった。

-以上-

 今週火曜日は、半年間も訪れていなかった宿根町にある「梅林園」を訪れてから16時頃には下山して「竹すずめ」へ行く予定であったが、朝日山登山道の至る所に真新しい「東永谷製鉄所遺跡」への案内板が設置されていたことから、長らく崩落したままだった遺跡への橋が復旧してアクセス可能となっているのでは?と、その橋があった場所へ寄り道してみることにした。(2024/02/27撮影)

 これは崩落前から道路脇に設置されていた案内板。
#00

 その案内板(黄矢印)がある場所の田圃が更地になっており、荒れていた西の川の護岸のコンクリート化工事も終わっていた。これまでは離合スペースの隅にしか車が停められなかったが、遠慮なく更地に停めることができた。
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 崩れていた橋は撤去されており、工事足場による仮設橋が架けられていた。
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 仮設橋はカラーコーンで塞がれていたが、各所に案内板が新調されていたし、特に立入禁止の看板は無いのでカラーコーンの間をすり抜けて渡ってみた。
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 段差を乗り越えて遺跡に通じる道?へ入る。
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 遥か彼方の中腹に看板があるので、たぶん遺跡はそこらにあるのだろう。
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 道は真っ直ぐ行って左へ曲がっていた。
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 埋もれて読めない看板・・・
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 曲がり角に次の案内板。
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 これは新調されていた。下側のは旧案内板。
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 曲がってみると石だらけで、まともに歩けない。
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 石だらけたに加えて、雨で緩んだ地盤に足を取られて進みにくい。
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 やっと、石ころが終ると道が左傾斜しているうえに枯葉に路面が埋もれて足が左へ滑る。
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 やっと、遥か向こうに見えた看板が目の前に迫ってきた。遺跡はもうすぐか?
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 右へ曲がると枯葉の道は更に登っている。
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 左側にフェンスがあるということは、やはりここが遺跡だろう。
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 フェンス内の隅にあの看板が見えたが、敷地内には何もない。ここは遺跡ではなかった。
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 更に山道を登るが、徐々に獣道になり始めた。
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 もう橋からは100m以上は歩いてきた。もしも雨が降った日の後だったら悪路で断念していた。
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 もう、こうなったら引き返せない。
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 次の案内板が見えた。
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 この石段を上がるようだ。
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 石段を上がり切ると枯葉で埋もれた道が更に続く。
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 その先に長浜や忠海で見覚えのある「教育委員会」の石柱。
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 どうやらこの先に待望の遺跡があるようだ。
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 一通り説明を読んでみた。「ビニールシートの上を踏み歩か無い・・・」「土面だけで何も見る事が出来ません・・・」
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 この看板に貼られたリーフレット、10年前頃の竹原帰省時にどこかで手に入れたものであった。
そのリーフレットの表面はこちら
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 裏面はこちら
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 そして石碑と石柱。
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 ここが「たたら製鉄所」があった「東永谷製鉄遺跡」である。
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 恒例のパノラマ写真を撮って下山。
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「橋が直ったら試しに行ってみんさい。もしかしたら未だビニールが被されていて何も見えんかもしれんけど、観光スポットになっとるらしいけん、珍しい遺跡が観られるかもしれんよ。」 2年前に宿根の知人に言われたのを思い出した。
 現在も埋められて保存状態となっていたので今回は実物が観られなかったが、図書館へ行けば写真入りの調査報告書が置かれているかもしれない。遺跡まで200mあることを忘れていて時間を消費してしまい、朝日山の山頂へも訪れたので自宅に着いたのが17時半頃、今週は「竹すずめ」でピザが食べられなかった。
 


-以上-

 大王市営住宅跡地が豪雨時の本川治水施設(遊水池か調整池)になるとのことで、小田山神社経由で訪れてみた。その跡地の様子については別途掲載とするが、久しぶりに小田山神社の側道を通ってみて気が付いたのが2点。それは扁額(神社名が彫られた額)が有る石製の鳥居が2基並んでいたことと、朱色鳥居が並ぶ途中に鳥居の模型が飾られたた祠が有ったこと。(2024/01/30撮影)

 ここは私が竹小時代の遊び場だったが、石の鳥居が2基あったことに気が付いたのは何とこの日であった。
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 上市からのこの狭い路地(参道?)は、アニメ「たまゆら」では竹原西高校への通学路だったが、改めて通ってみると余りにも淋しすぎて真冬に一人では通り抜けるまで不安であった。
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 手前から見ると鳥居は1つに見えるが・・・
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 横から見上げればもう一つ有った。石を投げて鳥居へ載せていた記憶では一つだけなのだが・・・。
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 こちらが手前の鳥居(前鳥居)の扁額。「たけはらの神仏を訪ねて/著:神野勝」によれば、建てられたのは昭和17年。なお、正式名は「小田山正一位稲荷神社」である。
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 こちらが奥にある鳥居の扁額。建てられたのは明治13年とのこと。
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 なぜ2基の石鳥居が並んでいるのだろうか?ここは最上位の稲荷神社なので、先ずは朱塗りの木鳥居があるのが普通だが、石製それも2基並ぶのは竹原では珍しい気がする。

 2011年頃に写真を撮りに訪れた際、ここの世話人が災害で倒れた朱塗り鳥居を解体・切断しており、新たな鳥居の寄進者を募られていたが、本数は増えず直立修繕に留まっているようだ。
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 鳥居のトンネルは「歯抜け」のまま。災害で倒壊していなければ「竹原の伏見稲荷」として観光スポットになっていたであろう。
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 先へ進むと・・・
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 小祠に気が付いた。
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 扉の前に朱塗りの鳥居の木製模型が置かれていた。この祠に気が付いたのもこの日が初めて。
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 狛犬(狛狐?)が阿吽の対になっているのかを再確認したいのだが・・・
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 ここの桜が咲き乱れる頃に境内を再訪してみたい。
#12

-以上-

 竹原市内で(私的に)一番の難所と思われる県道、それが県道369号の田ノ浦から小梨町の峠までの区間であろう。道幅は殆どが離合困難で勾配がある「つづら折り」の連続多発、交通量は少ないが見通しの悪いカーブでいきなりの鉢合わせ。今回は小梨町探訪での往路と復路を撮影してみた。(2023/12/12撮影)

 この警告「大型車通行困難」の看板は、県道369号の三原市との境界にあるのだが、この「この先」とは小梨の峠から田ノ浦までの区間を意味している。
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 先ずは県道369号の動画撮影ルートを赤ラインで地図に示す。そして「本町」から<369>県道マークまでの区間が離合難所で、見ての通りいかにも「峠族」が好きそうなワインディング・ロードとなっている。
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 景観的には殆どが山道なのだが、遠くに朝日山や一瞬だが海が見えるポイントも僅かにある。
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【動画】安芸の小京都 竹原 074 つづら折り県道369号田ノ浦小梨線(2023 12 12)



往路 00:0006:24 - 田ノ浦~小梨小学校跡(スポーツ広場) 帰路 06:2412:42 - 小梨小学校跡~田ノ浦 ※帰路にて一時停止やバックのシーンは対向車との譲り合い中。

-以上-

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