昨日書いた記事「頼惟清旧宅の座敷に座る」だが、竹原で発行された書籍では「頼惟清」の読みがどちらだったのかを調べたくなって倉庫から探し出してみた。
数分間で見付けられたのが以下の2冊。
1冊目は『古き町並 安芸の小京都 たけはら』(発行:平成8年(1996年)/ブレーン企画/800円)で、2004年のGW帰省時に掛町の「はこにわ本舗」(現在、いちかわ菓子舗)で買った竹原のガイド本である。 発行年も古く最後の一冊ということで安くしてくれた。 ちなみに「株式会社ブレーン企画」は大広苑と古庭橋西詰の中間辺りにあった会社で、その建物は元は1980年頃に建てられたモダンな切妻屋根の喫茶店「コーヒー合歓の木(ねむのき)」でのちに「喫茶 珈琲倶楽部」のような店名に変わったと記憶している。その後、閉店となった空店舗が「ブレーン企画」となり、現在ここは再び喫茶店「茶房きまぐれ」となっている。
「株式会社ブレーン企画」(1999年1月頃の撮影)
その後、再び空き店舗となる。(2004年8月頃に撮影)
発行所へ話が逸れたが、その書籍『古き町並 安芸の小京都 たけはら』であるが、著作物のため内容については目次程度に留める。
★マーク:祖父、惟清(これすが)の希望で、久(ひさ)太郎と名付けています。
▲マーク:頼惟清(らいこれすが)邸、竹原は頼家発祥の地で頼山陽の祖父である惟清(これすが)4代目が、ここで紺屋を営んでいた。
よって、2通りある理由と分かれた時期は不明だが「これすが」の読みが竹原地区内における発行書籍にも存在していたことは分かった。
*******
2冊目の『賴山陽』(発行:2000年/竹原賴山陽顕彰会/500円)については、斜め読みだが主要人物については余程の難読名でない限り、これを買う人は読めて当然の如くルビが振られていなかった。よって「惟清」の読みは特定できず。この冊子を買ったのは2004年GW帰省時の竹原駅構内KIOSKだったと思う。
-以上-
数分間で見付けられたのが以下の2冊。
1冊目は『古き町並 安芸の小京都 たけはら』(発行:平成8年(1996年)/ブレーン企画/800円)で、2004年のGW帰省時に掛町の「はこにわ本舗」(現在、いちかわ菓子舗)で買った竹原のガイド本である。 発行年も古く最後の一冊ということで安くしてくれた。 ちなみに「株式会社ブレーン企画」は大広苑と古庭橋西詰の中間辺りにあった会社で、その建物は元は1980年頃に建てられたモダンな切妻屋根の喫茶店「コーヒー合歓の木(ねむのき)」でのちに「喫茶 珈琲倶楽部」のような店名に変わったと記憶している。その後、閉店となった空店舗が「ブレーン企画」となり、現在ここは再び喫茶店「茶房きまぐれ」となっている。
「株式会社ブレーン企画」(1999年1月頃の撮影)
その後、再び空き店舗となる。(2004年8月頃に撮影)
発行所へ話が逸れたが、その書籍『古き町並 安芸の小京都 たけはら』であるが、著作物のため内容については目次程度に留める。
- ガイドマップ町並・・・P1
- 頼山陽先生銅像・頼山陽系図(生誕200年記念建立)・・・P3★
- 地蔵堂(枕元に立ったお地蔵さん)・・・P5
- 長生寺(小早川隆景建立)・・・P6
- 竹鶴邸(竹鶴政孝の生家)・・・P7
- 松阪邸(てり・むくりの唐破風屋根)・・・P8
- 岩本邸(高楼は高橋石霞の書籍)・・・P9
- 普明閣(「時かけ」「火曜サスペンス」他ロケ)・・・P10
- 西方寺(道工彦文の歌碑)・・・P11
- 上吉井邸(初代郵便局取扱所)・・・P12
- 吉井邸(浅野藩主が訪れた竹原最古の建物)・・・P13
- 町並保存センター(国土庁の伝建地区に指定されて建設)・・・P14
- 歴史民俗資料館・たけはら美術館(書院図書館跡)・・・P15
- 頼惟清旧宅(県史跡、頼一門発祥の地)・・・P17▲
- 城原邸・胡堂・酒造用井戸・・・P18
- 修景広場(一息つける憩いの場)・・・P19
- 照蓮寺(竹原小早川氏代々の小弟学問所)・・・P20
- 春風館(山陽の叔父、頼春風の家)・・・P21
- 復古館(幕末から明治にかけて酒造業を営む)・・・P22
- 大瀬邸(吉井邸に類似)・・・P23
- 亀田邸(二階に横格子の武者窓)・・・P24
- 住吉神社(創建初の拝殿建設)・・・P25
- 本川湊(塩買船の出入り、山陽が舟遊び)・・・P26
- 礒の宮神社(竹原の氏神さん)・・・P27
- 郷賢祠・豊山窯(市史跡、今井政之展示館)・・・P28
- グルメ・・・P29
メゾン、将軍、にこにこ、がんこ寿司、喜樂軒、長太、両国、王将、纏、一冨士 - 竹原市の行事・・・P31
たけはら夏まつり、住吉まつり、たけはら竹まつり、忠海祇園まつり
★マーク:祖父、惟清(これすが)の希望で、久(ひさ)太郎と名付けています。
▲マーク:頼惟清(らいこれすが)邸、竹原は頼家発祥の地で頼山陽の祖父である惟清(これすが)4代目が、ここで紺屋を営んでいた。
よって、2通りある理由と分かれた時期は不明だが「これすが」の読みが竹原地区内における発行書籍にも存在していたことは分かった。
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2冊目の『賴山陽』(発行:2000年/竹原賴山陽顕彰会/500円)については、斜め読みだが主要人物については余程の難読名でない限り、これを買う人は読めて当然の如くルビが振られていなかった。よって「惟清」の読みは特定できず。この冊子を買ったのは2004年GW帰省時の竹原駅構内KIOSKだったと思う。
-以上-