安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

エウレカ

 吉崎新開の県道464号線沿いにて古い納屋の壁に貼られた?レトロな看板に目が留まった。トタン屋根が垂れさがって隠れてしまい、道路から再び見えるよう看板部分が切り取られたのではなく、明り取りの透明屋根とその周囲のトタンが最近外れ落ちて偶然見え易くなっていたようだ。そもそもこれは看板としての役目ではなく、劣化した壁を覆うトタン板として古い看板が張られたのかもしれないが、そうであれば無地の裏返にするハズ。(2024/06/25撮影)
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 看板には「菓子と進物 とくなが 竹原駅前」と書かれている。竹原駅前にて菓子や進物などを売る店といえばロータリー向いの歩道先の店を思い浮かべるが、そこは「とくなが」ではなく「あわむら」であった。だが、アーケード街のどこかに聞き覚えのある店があったはず。
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 そこで倉庫へ仕舞い込んでしまった地図を引っ張りだしてルーペで探索すると見付かった。場所は現在の「磯っ子」である。昭和50年代の地図では「徳永製菓」と書かれており、その隣は「焼肉 力」で、平成8年の地図では「とくながフルーツ」になって、隣が自転車置場へ変わっていた。そして令和2年の地図では現在の「磯っ子」へ変わっていた。
 ちなみに過去に掲載したレトロな商業電話帳「竹原市まちのダイヤル」では、バン・菓子・餅のページに「御進物・菓子・果物 とくなが 竹原市竹原町駅前通り」が掲載されていた。1996年から撮り始めた数千枚ある「蔵出し写真」をルーペで探索すれば、自転車置場などの写真へ部分的に「とくなが」が映り込んでいるかもしれないが、さすがにその時間と気力と体力はない。

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 「道の駅たけはら(旧竹原警察署)そば」にある「神田もち店」、ここは北堀だが、かなり離れた新町区にレトロな「神田もち店」の看板がある。(2024/06/11撮影)
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 その看板は第一生命ビルのはす向かいの街路灯に1枚だけ取り付けられている。見上げる位置にあってモノクロで目立たないので、これまで見落としていたが、新町にて同型の「大阪食堂」の外灯看板を見付けてから目線が上を向くようになった。
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 看板の南面がこれ。店舗の看板とは違って活字ではなく書初めのような手書き風のタッチで「神田もち」と書かれている。ちなみに活字の「竹原警察署そば」がレトロ感を更にそそる。
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 北面がこちら。遠目では南面と全く同じだが・・・
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 たぶんどちらも同じコピー印刷なのだろうが、よく見ると「田」と「神」の「ネ」のハネや、「申」の横棒の長さや「とめはね」の形状が微妙に異なっている気がする。両画像を透かして重ねてみたが、看板が「ひわって」いるので比較できず。以下の左右を目視で比べてみて欲しい。
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 これが両面異なる手書きの「書」で作られた外灯看板であれば、ある意味「発見」である。

-以上-

 吉名町の一般民家の壁に打ち付けられたホーロー看板を見つけた。軒から垂れ下がった木片で看板が一部分隠れてしまっているのが残念だが、これが「ジューキミシン」の看板であることは分かる。(2024/01/07撮影)
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 ・・・だが、看板上部の「世界に誇る」に続く文字が見えないが、ネットで調べると「ロータリツクスと書かれていることが分かった。そして興味深いのが下部。「竹原町 今井ミシン商会 電話三八三番」である。看板の状態は良好で全く錆もなく古そうには見えないが、電話番号が3桁といことは市制(昭和33年)前の豊田郡竹原町時代であろうか?そして現在も竹原町の何処かに店舗が存在しているのだろうか?
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 この「ジューキミシン」というカタカナ表記も気になる。ジューキミシンの沿革を確認すると発足は1938年(昭和13年)で「東京重機製造工業組合」、終戦の1945年にミシン製造業となって1947年に家庭用ミシンが完成。輸出向けのためか「JUKI」表記だが、国内では「ジューキミシン」が使われていたようで1963年に「ジューキ広島製作所」を設立、たが、いつ頃から社名が「JUKI」になったかまでは分からなかった。
 また、家庭用ミシンの歴史では、隠れていた文字「ロータリツクス」(ロータリックス)が製品名に使われたのが1953年からで、この機構(メカ)が恩賜発明章を受章したことで1960年頃から「世界に誇る」謳い文句になったと推測。よって、このホーロー看板は市制後の1960年以降のものではなかろうか。

 あとは「竹原町 今井ミシン商会」について調べてみたい。

-以上-

 西方寺や普明閣が写真に撮られる場合、地上から見上げた西方寺の石段と山門や、普明閣の境内から見上げた舞台が定番アングルなのだが、敢えて「ひねくれた視点」で撮ってみると「新たな発見」があることも多々ある。今回は屋根瓦の上で一番目立つ存在でありながら、なぜか目立っていない「装飾瓦(鬼瓦)」について着目してみた。(2023/11/27撮影)

 装飾瓦を撮るきっかけとなったのは西方寺山門のこの鬼瓦。獅子なのか麒麟なのか?
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 先ずは普明閣の装飾瓦を撮れる範囲でズーム撮影。
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 真正面頂上。
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 典型的な鬼瓦。真正面と側面から狙ってみた。
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 何だか口と耳の中が赤い。
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 次は北側からのこの2箇所。
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 やはり口と耳の中が赤い!着色されているのか2色になるよう焼かれたのか?
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 続いて南側から。
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 ドローン撮影なら瓦の敷き方が分かるのだが、屋根の先端ではない場所にも鬼瓦がある。よく見ると先端のものとは顔が異なっている。
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 北面にも同様の鬼瓦。
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 次は西方寺の山門上。
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 頂上の手前には鯱と鬼の装飾瓦。
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 鯱の顔は見えないが鬼は普明閣のものと同じだろうか?だが、口や耳の中は赤くない。
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 西面の対は獅子だろうか?左足に獅子舞の布に描かれた模様と同じ彫り物。
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 反対側から見た顔では獅子であろう。でも獅子には角は無い。ならば麒麟か?
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 反対側の鯱で顔が分かった。
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 最後は東面の装飾瓦。
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 こちらは麒麟か?それとも獅子か?前足で倒立している姿が可愛い。
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 尾は4本?1本?頭には角がある。
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 反対側にて顔は分かる。
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 他とは違って角が無い。いゃ、眉毛ではなくて尖っていない角か?
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 山門の装飾瓦をズームで見た感じでは、近年に葺き替えられたのか艶も有って全く経年劣化していない。普明閣のはそれなりに劣化しているよで口と耳の中が赤色なのが「新たな発見」であった。

-以上-

 田万里経由で西条へ買い物に行く際に一瞬目に留まるのが卵の自動販売機。場所はレストラン「ココリコ」前の国道2号線沿い。これまで何度もここを通っているのに、この存在に気が付いたのは今年になってからである。駐車スペースの有無が分らず、未だ一度も立ち寄ったことが無く、減速せずに通り過ぎてしまうのである。(2023/12/03撮影)

 これまで「ココリコ」の看板に視線が行ってしまい、この販売所の建物自体の存在が分からなかった。これを知った(見つけた?)のは、この近くにあるバス停「竜王神社前」を撮ろとして駐車スペースを探していた時であった。
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 今回は拡大写真しかないので販売所の内部は分かり難いが、ミカンネットのような赤網袋に入った卵がガラス扉に入れられており、所定枚数のコイン(100円硬貨単位)を投入すると、扉が1つだけ開けられて袋を取り出すことができる仕組みで、1台の自販機には計12扉が用意されている。もちろんだが、同時に複数の扉が開けられないよう不正防止の工夫はされている。この自販機が部屋内に2台並んでいるようだ。
 なぜ、本たまご自販機に詳しいかというと、独身時代に関東の片田舎で暮らしていた頃に、近所の農家の畑沿いに置かれていた産み立ての卵(ヨード色)が赤網袋に10個入っており、これと同様の自販機のお世話になっていたからである。1980年代当時の価格は10個入りで300円であった。スーパーで買うよりは高いが、大き目で黄身の盛り上がりの厚みは倍以上だった。卵1個に黄身が2個入った「当たり」の卵の頻度も高かった。

 その頃とは時代は変わるが、見た目は同じようで仕組みも同様の自販機かと思われる。
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 試しに「田万里 たまご 自販機」でネット検索をしてみると直ぐに有り難い情報が得られた。販売は「なかぶろ養鶏場」で「たまご製品の情報紹介や商品を比較したまとめ」サイトの中の「なかぶろ養鶏場」のページに写真入りでここが紹介されていた。その記載内容によれば、赤網袋に卵が入れられており、コイン投入と扉の仕組みは写真では分からないが、価格も数も私が若かりし頃に毎週利用していた自販機と同様であった。

**** 2023/12/06追記 *****

 1999年頃に撮ったココリコの看板下に「新鮮たまご」販売所が写り込んでいた。この頃から既に在ったとは・・・。(1999/05/08撮影)
19990508a

-以上-

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