安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

土曜日の実験室

 「近末」前の信号待ちの最中に、商工会議所の1階ガラスに何かのポスターが連貼りされているのが気になっていた。そこで昨日の散策中にそのポスターを間近で調べてみた。(2024/06/18撮影)
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 ポスター提示の場所は竹原商工会議所1階のガラス壁。
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 これまで空きスペースとなっていた1階フロアとエントランスにて工事業者が作業中。
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 先月末だったか、知り合いとの雑談で「1階のスペースがもったいないねぇ~」と話していたばかりの変化である。
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 貼られていたポスターは「TAKEHARA DMO Coming Soon COWORKING SPACE」だった。どうやら1階に「コワーキングスペース」が作られるようだ。異なる企業等が同フロア内のスペースにて業務作業をする共用スペースである。軽く言えばスタバのテーブルに老若男女がノートやパソコンを広げて作業している様子が店内全体を占めているようなもの。
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 ちなみに(私が)聞き慣れない「DMO」とは「観光地域づくり法人」で「竹原DMO」は「竹原観光まちづくり機構」であった。

 完成時期は調べられなかったが、私が技術職の現役だった頃は出張先での作業に苦労していた。共用Wi-fi環境やホテル室内のLANはセキュリティ上禁止、社用モバイルルーターでノートPCを会社と接続しながら、LCD画面は脇から覗かれないよう特殊シール貼りされていた。スタバなどでの作業は「もっての外」で、ノートPC自体も万一の紛失事故に供えて会社のPCへのリモート接続機能のみ。

 ここ竹原で初めて視られる先進技術の「コワーキングスペース」がどのようなスタイルなのか楽しみである。パーティションが無い明るい日射しのテーブルでコーヒーを飲みながら「カチカチ」とキーボードを叩く様子が目に浮かんでくるが、現代では音の出るキーボードは古いのかも・・・。

-以上-

 本日、通勤中に市役所新庁舎(工事中)の北壁全面を覆っていた防塵幕が無くなったことに気が付いた。そこで他の壁面にも変化が有るのではと確認してみた。(2024/06/17撮影)

 防塵幕が取り除かれた北壁面。
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 安全タクシー側からの北壁面の様子。

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 藤三Pへ移動して南壁面を確認したところ、特に大きな変化は見られなかった。
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 児童館の通りからでは東壁面は最上部がよく見えるようになったが、どうなるのか気になっていた「欠けた白丸」の壁面デザインは市章ではなく旧合同庁舎のものをそのままを踏襲。
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 国道側から見ると、いつも見えていた長尺クレーンの姿が無かったぐらい。
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 未確認の中電工側からの西壁面を除いて、今回は北壁面だけに大きな変化(幕撤去のみ)が見られた。
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 完成までの定点観測をしてみたかったが、竹原市公式サイトに、完成予想図と昨年12月からの新庁舎工事の進捗写真(月単位定点観測)が掲示されている。
 
 新庁舎への移転は来年1月からの予定で、移転後の市役所跡と隣りの駐車場を含めた「ゆめメタウン竹原跡」のエリア再整備について市議会で議論されているようだ。

 今年になって撮った工事中の写真を少し探してみたが、これといって大きな変化がなかったので2枚のみ掲載。

 朝日山頂上から(2024/03/27撮影)と・・・
20240327a

 市民館裏側から(2024/05/21撮影)
20240521a



-以上-

 北崎の「プラザ港」については2020年夏の記事で紹介したが、今回はその建物の看板について注目。(2024/06/11撮影)

 「海の駅」側から見た「プラザ港」。
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 4年前の記事の写真と比べると「プラザ港」の文字は判読不能になってしまった。
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 ちにみに2009年夏ではこうだった。(2009/08/06撮影)
20090806b

 そして気になっていたのは屋根にそびえる看板である。4年前の記事では正面の「もみじ饅頭」について触れたが、それも難読状態に・・・。
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 角度を変えてみると「広島銘菓もみじ饅頭 はこにわ最中 販売店 宝くじ発売中」が読めた。そして右面には「銘菓 久太郎 お好み焼すーちゃん」。竹原銘菓の饅頭「久太郎(ひさたろう)」の販売店でもある。
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 右面を撮れは当然左面も。「上島食堂 日本酒朱泉 賀茂泉」で、西条の賀茂泉酒造の「朱泉」である。
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 左右面を撮れば残るのは背面。背面が見えるか否か北崎公園へ向かってみた。
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 赤矢印に背面が見えた。
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 何が書かれているのか興味津々だったが・・・シンプルに「プラザ港」だけだった。
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 ズームしてみると「プラザ港」の文字以外に何かが書かれている。
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 背面看板は経年劣化で白ペンキが薄れてしまったのか、再生看板のようであった。
#10


 赤地の部分には「次の車両は固く航送引受をお断わりします」と書かれており、中四国フェリーとなる前の「竹原波方間自動車航送船組合」の看板で、フェリーに載せられない車両と制限等について細かく書かれていたようだ。

-以上-

 本日は竹原駅前商店街の「七夕まつり」開催ポスターを撮りに行く予定であったが、午後になっても断続的に雨が降り続いていたので断念。そこで前から掲載予定であった「イマイチ」で親が買ってくれた昭和レトロなアイテムを3点紹介することにした。

 その3点とは地球儀、デジタル式目覚し時計とプログラム関数電卓。
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 本日、駅前を訪れていれば「イマイチ」のガラスに「七夕まつり」のポスターが貼られていたのかもしれない。(2024/05/28撮影)
#13

先ずは地球儀。私の竹小入学祝いにと親が1966年に勉強机と一緒に買ってくれたものと思われる。サイズはサッカーボール程度。その当時は木製の勉強机と地球儀に鉛筆削り(手回型)が三種の神器だった。
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 アルコ NO.10 で奥村越山堂。この「NO.10」は製造年だろうか。発行に刻印された「7」と「12」は地図の更新月日なのか・・・・ネットではどちらの意味も探せず。 
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 世界地図では日本は赤塗りのイメージがあるが黄色塗りだった。なぜか広島だけ「ヒロシマ」と書かれている。大韓民国や朝鮮人民共和国という表記や竹島も書かれている。
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 地球儀の昭和レトロさを表すのに一般的に先ず思い付くのが「ソ連」の有無であろう。昭和製なのでもちろん「ソビエト連邦」がある。 
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 東ドイツの表記についてもそうだが、なぜかドイツとしか書かれていなかった。
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 私が思い付く昭和レトロの国名は象牙海岸だ。赤字で「コートジボアール '60.8.7」と書かれていた。
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 2つ目のアイテムはカシオ製のデジタル置時計。1982年の就職祝いに買ってくれたものだ。メロディが鳴る目覚し時計で、入社以来20年以上は目覚しに使用していた。今でも動くが文字が欠けてしまって読めない。製品名は「DA-101」で1982年製。
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 3つ目はカシオのプログラム関数電卓 FX-502Pである。これは大学2年頃(1979年)に実験授業で関数電卓が必要となった為、親に無理を言って買ってもらった高額製品。当時としては珍しかった関数や実行手順などが255ステップ分プログラミングできるので、何度も繰り返す必要がある多量のデータ処理の計算が、予め処理を組んでおくことで「答えイッパツ」であった。手操作なら数時間もかかる100個の最小二乗法データ計算が、なんと誤操作なくデータ入力のみの数分間で結果が出せる優れものだった。

 買ってもらって45年も経つのに電池を入れたらまだ動いた。
#11

 上部に外部インタフェース端子があり、オプションの土台へ電卓を挿し込むとテープレコーダへプログラムをセーブ/ロード(保存/読出)できた。また、楽譜を数値にしてプログラム・データとして打ち込むと、電子音でメロディを鳴らすこともできた。
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 これから梅雨に入ると「ネタ探し」は主に「時をかける倉庫」となりそうだ。

-以上-

 『時をかける少女』のレーザー・ディスクに続いてベータマックス版を倉庫から発掘した。それと同時に『世界一 東京タワー』のパンフレットが出てきた。まさに我が家の倉庫は「時をかける倉庫」なのである。(2024/06/06発掘)

 これがそのベータマックス版のビデオテープとパンフレット。
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 ビデオテープのケース表面。左下の赤丸内に「ひろ子&知世サイン入りセルフブロマイド付」と書かれているが、ケース内には何も無かった。ちなみに「ひろ子」とは薬師丸ひろ子である。1980年代の微かな記憶では、角川映画全盛当時、職場の同僚に原田知世ファンがいて、生写真風のブロマイドをあげてしまったと思われる。
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 テープ側面。未だレンタルビデオ屋よりも映画メディア店でビデオテープが並べられ売られていた時代に購入。たぶん、のちにレーザーディスク版(税抜4700円)を買った秋葉原の石丸電気のはずである。陳列に海外・国内映画の作品がこのように縦に並んでいた。価格を見てビックリ、未だ消費税5%など無い頃で14800円もしていたとは・・・。1980年代は本給よりも残業代のほうが高かった徹夜連続の若かりしエンジニア時代だった。
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 テープ裏面。角川臭のするデザインだ。角川文庫版『時をかける少女』も倉庫のどこかに未だあるはず。角川映画『時をかける少女』を観てから筒井康隆の全作品にはまるきっかけとなった。
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 テープ自体は筒型ケースの底からスライドして取り出す。これはNHKも採用していたソニーの高画質技術満載の「β仕様」だったが、いつのまにか画質よりも録画時間優先のVHSに喰われてしまっていた。
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  ラベルにも作品の詳細が書かれていた。
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 続いて発掘中にテープ類の隙間からスルリと出てきたのがこのレトロのパンフレット。いつどこで手に入れたのか思い出せない。きっと、高校時代の修学旅行であろう。

 パンフ表側を展開。
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 内側には東京観光地図。
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 各々のページを載せてみた。新宿に高層ビル群があることから、映画「三丁目の夕日」からはかなりの時間が経過している。
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 東京タワーは電波塔。
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 3階に「ろう人形館」あり。入ったことは無いがエルビスブレスリーの人形があったかも。
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 この時代・・といってもパンフの発行年が分からないが、電波塔としては世界一だった。
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 4階ショールームは知らなかった。最後に東京タワーを訪れたのは息子を連れての2006年頃だった。
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 特別展望台は未踏。「お願い」の文章からやはりこのパンフは東京タワー内にて配布さてれたものだろう。
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 最後に角川映画版『時をかける少女』のキャッコピー(宣伝文句)は「いつも青春は時をかける」であった。倉庫のかび臭いビデオの束の隙間から時空を超えタイムリープして出てきた?このパンフは私の青春時代の頃に発行されたものに違いない。

-以上-

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