安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

土曜日の実験室

 帰郷後、忠海駅前のメイン道路が激変していたこと知る。
 竹原から忠海へのアクセスは素直に国道185号線を三原方面へ伝うか、「道の駅たけはら」の横にできた県道75号線「竹原三原線」(地蔵町~トンネル~小泉)~県道59号線「東広島本郷忠海線」(小泉~黒滝山登山道入口~忠海)の2通りなのだが、黒滝山登山道~忠海メイン道路間が幅員減少と直角交差点があるため大型車の通行は困難だった。
 この2つの経路を実際に走行比較してみたのだが、185号線は交差点と信号が多数で大乗付近は制限速度40km/hがあり、忠海駅から「道の駅たけはら」まで所要時間約15分。59号+75号線は信号2ヶ所、交差点1ヶ所なのだが起伏とカーブだらけで所要時間約15分だった。前車の速度や込み具合による誤差もあるが、私の場合は所要時間の感じ方は後者のほうが長く感じられた。特に忠海から小泉までが無駄に北上するのでかなり長く感じた。私としては前者の185号線を通るほうが海岸沿いなので好きである。忘れていたがトンネル前からバンブージョイハイランドを抜けて185号へ出るパスもある。
 その県道59号線「東広島本郷忠海線」の忠海駅から左折せずに直進して黒滝山登山道入口へつながるハイパスが出来ていたのである。便利になったものの交通量が増え、左折していた場所付近にあった昭和レトロの雰囲気漂う時計店などが消失していたのは少し残念ではある。
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#01-02:59号線の忠海バイパス(2020/06/09撮影)

 ではパイパスができる前の旧県道の様子はどうなつているのだろうか。今まで通りに左折してみるとそのまま幅員で普通車がすれ違えない場所もあり。
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#03-04:旧県道の様子(2020/06/09撮影)

 バイパス側は交通量が多いが、曲がり角にて5分程度いたがこちら側はゼロ。すっかり閑散としていた。
 この辺りに胴丸(トラハゼ)料理が食べられる食堂が有ったハズだが・・・と見回していたら目の前に「味処日之出」が見つかった。営業時間外だったのかコロナ対策中だったのか店は閉まっていたのだが、次回訪れるときはここで胴丸の唐揚を食べるみとにしよう。
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#05:味処日之出の様子(2020/06/09撮影)
 
 このカーブで停まったのはコーラの自販機がここに有ったからだが、コイン160円を投入してボタンを押したところ何も出ない。返却口を見ると160円そのまま出ていたので再トライ。すると初めの10円を入れたところで返却口へ戻ってくるではないか。冷えていないはずはないし、釣銭切れランプも点いいないのだが・・・。この後、黒滝山頂上まで登ろうとしたがケチが入ったので入口からATOMまで抜けて帰ることにした。
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#06:黒滝山登山道まで1.8km(2020/06/09撮影)
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#07-08:黒滝山登山道途中からの眺め(2020/06/09撮影)

2020.03.10

 引越日まで10日を切った。捨てるものと竹原へ運ぶものを仕分けしていると作業進捗が遅延。全てを箱に詰めると引越業者9tトラックに入りそうにないし、引越先にも保管場所がない。よって捨てるものを仕分けせざるを得ず、捨てるものを置いておくスペースもなし。月2回の資源ゴミ/不燃ゴミ回収日に出してはいるものの捨てた量の倍以上にゴミがたまっている。現住所の自治体はゴミ出しルールが厳しく、縦横高さの合計が1mを超えると「粗大コミ」として扱われ、処分シールを買って貼らないと回収してくれない。可燃ゴミ/不燃コ゜ミ/資源ゴミ/粗大ゴミは処理場への持ち込みが可能であるが、竹原のように無料ではなく180円/10kgの処理料を取られるのである。先週は150kgの本と蒲団類、本日は175kgの本を出した。これ以外のゴミは20km先の処理場へ行く必要が有り、自転車2台とダンボール3箱の不燃ゴミに鍋なとの金属資源ゴミを明日捨てに行く予定である。また、カミさんの部屋には価値のある本が多量にあり、ブックオフの引き取りサービスを2度利用している。最近ならメルカリなどを利用すれば良いのだろうが、来週までに引越品をスリム化しないとマズいのである。
 カミさんがブックオフへの仕分けをしていたら本箱の奥から見つかったのが「竹原市史 第一巻」である。本市史は全5巻あり、礒宮再築記念でカミさんの父親が礒宮の朱印が押された全巻を市から贈られたものだ。その後、竹原書院図書館から第一巻を分けてもらい、竹原について調べ始めたことでそれを引き取っていたとのこと。この本の存在は知っていたが、これまでなかなか見せてもらえなかった。本日、一部読んでみたが「磯宮の山津波による崩壊」や「番屋橋の周辺」について詳細に解説されていたのには驚いた。なぜか全てが「礒」ではなく「磯」なのだが、旧建立場所(鳳伏山)の成井川が海に入る磯辺にあったので「磯宮」となったとのこと。その後、荒廃して現在の珍海山(鎮海山?)に遷宮されたと書かれている。「磯」は水しぶきをあげる岩であり、「礒」は岩石の様子らしく、謂れからすると「礒」よりは「磯」が正しいように思われる。だが初詣時の幟には「礒宮」と書かれている。
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#01-03:竹原市史 第一巻の表紙と目次

 この第一巻の発行日は昭和47年3月31日である。発行は竹原市役所で非売品。第2巻から5巻は更に詳細な内容らしく、竹原市史の概要を知るには第1巻がベストとのこと。竹原書院図書館から引き取ったということは、もう図書館には所蔵品は無いかもしれない。
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#06:竹原市史 第一巻の発行時期

 この「竹原市史 第一巻 概説編」の他に見つかったのが、竹原高校の太田先生による郷土研究の授業で配布された以下資料で昭和51年のもの。
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#10-14:竹原高校教師の太田氏が用意した資料

 現在、このような古い資料を竹原市の文化生涯学習室にて古い書物、墨で書かれた手紙・書類や古い道具類を収集中のようである。帰郷した際には、これらの資料について連絡してみる予定である。

2020.03.09

 本川通りも歯抜け状態となりつつある。この梶川玩具店の隣りも気が付かないうちに更地となっていた。考えてみれば梶川玩具店を訪れたことは無かったかもしれない。いつか訪れてやろうと思いながらも店舗前を素通りばかりしてきた。それに今回初めて気が付いたのは看板に梶川玩具店と書かれていたことである。今までずっと「駄菓子屋」だと思っていたので入りづらかったのである。玩具店ならばプラモデルなども有りそうだし、もしかしたらビンテージ物も残っている可能性もあるので入り易いではないか。
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#01-03:梶川玩具店(2020/02/22撮影)

 この梶川の隣りが更地になっていたのだが、何が有ったのだろうか?古い写真を遡ってみると隣りは長屋店舗となっており、「帽子・靴・履物 合田商店」と「青果食料品・・・」のテントが見える。靴を買う時は合田へ行っていたが隣りの青果食料品店は何だったのだろうか?
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#04:梶川玩具店(2015//12/31撮影)

 更に遡ってみると「坂口商店」であることが分かった。私の記憶では「坂口商店」も靴屋で、平川生花店となる前の商店隣り辺りだったと記憶しているが、その頃の写真は見つかるだろうか・・・
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#05:梶川玩具店の隣り(2014//05/06撮影)

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#06-07:梶川玩具店と坂口商店(2011/12/30撮影)

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#08-09:梶川玩具店と坂口商店(2004/05/05撮影)
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2020.03.08

 竹原市のゆ一般宿泊施設はどのぐらいあるのだろうか。昭和~平成時代で有名なところでは「ホテル賀茂川荘」や「かんぽの宿」が旅行カイドなどに毎回載っていた。最近で目立つところでは「グリーンスカイホテル竹原」が広島大学入試(東広島)の指定宿泊施設にも選ばれ、最高級クラスの「NIPPONIA HOTEL 竹原 製塩町」も新登場。長期間の素泊まりならば「ホテル大広苑」があり、観光としては大久野島の「休暇村大久野島」がある。観光サイトに載っているのはこれぐらいであろうか。
 竹原にはこれら以外にも多数の宿泊施設がある。竹原駅からロータリーへ降りると、目の前に有るのが「竹原ステーションホテルグルマン」とその先に「ゆあさ旅館」、グリーンスカイホテルの向いに「竹原シティホテル」、市役所付近に「天野屋旅館」がある。竹原町以外では高崎町の「民宿ぱくぱく」、福田町の「ビジネス民宿よしだ」、長浜の「シーサイドホテル竹原」と「川端旅館」、忠海駅前の「あかだま旅館」と「網野旅館」がある。竹原町内には更に本川通りの「ほんかわ荘」と田ノ浦に「日本橋旅館」がある。
 過去には、あいふる付近に「旅館よしつね」と「富貴荘」、警察署向いに「万惣旅館」、「日本橋旅館」の近くに「旅館おだ」があった。西野町の「竹原ロイヤルホテル」、高崎町の「佐々木ホテル」についてはどのくらい知っている人がいるだろうか。
 その「日本橋旅館」について紹介しているサイトは殆ど見当たらないが、唯一、竹原商工会議所のHP詳細が載せられていた。和室6室(定員20人)で料金は5000円前後である。載せられた室内の写真を見ると竹原町で『竹原らしさ』を満喫するなら「日本橋旅館」がベストかもしれない。
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#01-04:日本橋旅館(2020/02/24撮影)

2020.03.06

 扇町の生協跡から竹原駅へ向かう途中、HIRO HOUSE の雰囲気が違っていることに気付いた。自転車に乗っての流し撮りのためブレてしまったが、写真を確認すると外観が垢抜けているようだった。竹原駅からロータリーへ降りる時、いつも歩行者信号機が青になるのを見ているので HIRO HOUSE側を見ることは少なく、2019年にも店を訪れたがシオタまでのアーケードがあるので店全体を眺めることもしていない。2019年ここを訪れたのは、久しぶりに幼馴染の友人と街中でバッタリ会い、その友人の馴染みの店が HIRO HOUSE だったのである。ではどこがどう変わったのかを比較するため過去に撮った写真を探してみた。
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#01-02:2020年現在のHIRO HOUSE(2020/02/22撮影) 


 これは2006年当時の HIRO HOUSE 外観である。現在とは店の看板と外壁が変っている。看板では COFFEE & JUICE と書かれた楕円形が、長方形に COFFEE、FOOD、JUICE を示すピクトグラムになった。壁は2階窓枠下がブラウンに塗り替えられている。 2019年に訪れた時と店内の様子は特に変わってはいなかったと思う。
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#03:旧外観(2006/08/12撮影)

 私が気に入っているのがガラスに取り付けられた丸い換気扇である。店内は現在も喫煙可なので換気装置は欠かせない。これは 2006年に呉線待ちで家族でランチを食べた時の注文の品、息子はフレンチトースト、夫婦は HIRO HOUSE 定番のグラタンにした。
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#04-06:家族で食事(2006/01/04撮影)

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