安芸の小京都 竹原アルバム

このブログは私の故郷竹原のディーブな散策アーカイブです。 1996年から続けていた旧ホームページをブログとして継続中。 (ご注意:観光向けではありません)

土曜日の実験室

2019.11.05-2
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#01:尾道・竹原<かぐや姫>殺人(2003/11/07撮影)


 旧版(ホームページ)で紹介した記事の追稿版である。衛星放送でこれをモチーフにしたサスペンスドラマが何度も再放送されているので、本記事ではその説明を加えてみた。

旧版の記事(2003/11/07) -----------------------------------

 テレビ東京のドラマ「愛と女のミステリー」の「古都旅情サスペンス かぐや姫伝説殺人事件」が先週の11月3日昼に再放送された。 数年前の本放送もテレビ東京を流していて偶然に見たものであるが、今回も偶然に見ることができた。 昭和から平成に代わろうかとしている時期に、どの局も同じ内容の番組を繰り返して放映する中、 唯一違った番組(ムーミンだったと思う)を流していたテレビ東京は私の一番のお気に入りの局てある。今回の再放送でこのミステリーの原作を藤井酒造の酒蔵交流館にて購入していたことを思い出したので紹介する。

尾道・竹原<かぐや姫>殺人
著者-野村正樹
発行者-諸角 裕/発行所-(株)双葉社
2000年2月5日 第1刷発行
新書 ¥800+税

 手のかかる夫とひとり娘を持つ主婦吉永香織は、同じマンションに住む友人の藤村紀子と息抜き旅行を計画する。 目指すのは安芸の小京都・竹原。 ささやかな脱日常を望んだ旅だったが、立ち寄った京都嵐山でふたりの前に倒れこんだ男の背には、竹筒が!! 現場から走り去った謎の女とは? やがて事件はふたりを追うように竹原へと舞台を移し、かぐや姫伝説との奇妙な悲しい類似をみせる。
(カバー背表紙より)

 ドラマにおける尾道の竹薮は原作では嵐山であり、東京にある日本酒アンテナショップや竹原郷土料理の小料理屋は尾道での話のようである。 大まかなストーリーと舞台となった観光地区・登場人物や建物等は一致している。 原作では藤井酒造・竹鶴酒造・照蓮寺・おかかえ地蔵が書かれており、尾道では「時かけ」や広末○子の話まででてくる。

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以下は、BSジャパンにて2016年6月に再放送された時の番組説明である。(同番組のBSテレ東による放送ではない)

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ザ・ミステリ―『小京都サスペンス かぐや姫伝説殺人事件』

 団地妻三人お気楽旅行事件簿。広島尾道~竹原~東京~仕組まれた宿命の旅…時を越え竹やぶの死体が語る謎。

【出演】岡江久美子、柴田理恵、深浦加奈子

番組内容
 多忙な夫との毎日に不満を持つ専業主婦・吉永香織(岡江久美子)は、気晴らしに友人の藤村紀子(柴田理恵)、広未凌子(深浦加奈子)を連れ3人で尾道・竹原へ一泊旅行に出かける。香織は尾道の道中、竹薮の中に立つ美しい和服の女を見かけるがその直後、竹が刺さった死体を目撃してしまう。死体の近くには皮の手袋が…捜査を進めるうちに殺されていく人間達の近くに落ちている品物が、かぐや姫物語に出てくる宝物と共通していることに気付く。

出演者
 吉永香織…岡江久美子
 藤村紀子…柴田理恵
 広未凌子…深浦加奈子
 吉永謙介…船越英一郎
 月谷満代…小松千春
 月谷弥兵衛…名古屋章
 草野刑事…ベンガル
 石山英次…日比野玲
 永野和平…湯江健幸

原作・脚本
【原作】野村正樹「尾道・竹原<かぐや姫>殺人」(双葉社ノベルズ・刊)
【脚本】橋本以蔵
監督・演出
【演出】伊藤寿浩

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  2003年11月3日にテレビ東京で再放送された時に撮ったブラウン管画面の抜粋である。タイトルを見ると「古都旅情サスペンス かぐや姫伝説殺人事件」となっており、BSの2016年再放送の番組説明とは異なっているのはなぜだろうか。

 火曜サスペンス劇場や他のサスペンスドラマにも竹原が舞台となったものが多数あり、再放送が繰り返されるので毎週の番組表検索は欠かせない。
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#02-03:TV番組の一例


 それにしても関東ローカル局「テレビ東京」はなぜこうも「竹原びいき」なのだろうか。アド街やドラマを見てきたカミさんもこれには同感しており調べてみたようだ。テレビ東京の元社長・中川順(なかがわすなお/1919~2010年)氏は広島県出身で、吉名出身の池田勇人(元内閣総理大臣)と親しい間柄であったことがウィキペディアに書かれているとのこと。竹原出身ではなさそうだが、元社長は竹原に何かのゆかりがありそうだ。

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 町並み保存地区内にある「竹楽」を訪れた人なら、店内にビンテージっぽいテレビが働いているのをご存じであろう。ドウシシャの液晶テレビだったと思う。このテレビ、画面がLCDでアスペクト比16:9でありフラットなため、白黒ブラウン管テレビでリアルタイムに「トムとジェリー(画と声がズレる時あり)」を見て育った世代には少々物足りなさ感があるに違いない。この類は高価なレトロ調の多機能インテリア・テレビに位置づけられる。上蓋を開けるとDVDなどをたっぷり収納できるし、画面下の操作部を開くとBDレコーダーなども収容できるので、これ単体でデモ映像を延々と流す展示物として働かせることができる。もちろん地デジ・BS/CSと外部入力も装備しているので個人用としても利用可能。

 「竹楽」でこの存在と利用法に刺激されて血が騒いでしまい、高機能でありながら4:3で白黒ブラウン管のビンデージっぽいテレビを自作してみることにした。作成期間は延べ1週間、費用は1万ぐらいかかったかも。ベースは捨てられずに押入れにしまったままのPC用小型白黒ブラウン管モニタ、SVGAと低解像度であるが未だ映るので捨てるには惜しいし、捨てるなら高額な処分料をとられるので困っていたものである。

 電源を切っても高電圧を蓄電していそうなので、感電しないよう恐る恐るケースを外して中身だけ取り出し、ダイソーで買った工作板でこさえた古く見える木箱に入れてみた。スピーカーの網はそれっぽくなるPC用外部スピーカーの右パネルを外して使い、チャンネルつまみはアキバで買ってきた市販品とした。特に苦労したのはブラウン管の額縁である。紙粘土を使ったが乾くと粉状にハゲてしまう。補強にとラッカーを塗るとテカルし、乾くとラップ状に剥がれてしまうから始末が悪い。つまみは数字が0~9なので、パワポで1~12のリングを描いて写真用紙へ印刷したものを貼り付けた。このチャンネルつまみは電源スイッチ付の音量調整とし、外部入力の音声をスピーカーで鳴らすようにした。一段落した段階でウェザリング(で良いのか怪しいが)して如何にも朽ちて黄ばんだプラッチック風にしてみた。

 ドーシシャ製にはテレビ機能があるが、NHKを気にせずに使ってもらえる仕様という言い訳をしてチューナーは内蔵しないことにした。元々PC用モニタなので、こっそり後ろへPCをつなげばそのまま動画再生できるが、DVDなどからの外部入力機能が無いため画像信号コンバータを内蔵してコンポジット信号、HDMI、アナログRGBが使えるように増強した。

 では以下のその写真を見てほしい、これが自作のビンテージっぽいテレビ「MicroVision」である。本当はあの看板の「キドスカープ」としたかったのだが白黒なのでダメ。ソニーのトリニトロンに似せた「マイクロトロン」だと電磁波で危なそうだし、小型が一番ウリなので「ミクロビジョン」とした。
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 その通り、白黒画面に映っているのは「竹楽」である。何を映すか色々と悩んだ末の無理やり感たっぷり演出。これは今年3月に衛星民放で放送された『高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?』でNPO法人ネットワーク竹原の理事長である佐渡さんを訪ずれた回である。載せたついでだが、上のプロジェクターはアキバで5000円で買ったジャンクながら完動品。ここから白い2m幅のロールカーテンに投影すると90インチ越えの動画が楽しめる。

 素人のニワカ工作なのでしっかり「手作り感」が残ってしまったが、小型ゆえの可愛さも滲みに出ている自画自賛。サイズ確認にはピース缶かハイライト箱を置くのが昭和世代のシキタリなのだが、喫う習慣なしなので毎朝すすっているヤクルトをそばに置いてみた。これでもサイズ感が怪しいので「トースター」ぐらいとしておこう。

 結局のところ自作テレビと竹原との関係は?と問われると辛いが、いつも帰省時に「竹楽」で見かけるビンテージっほいテレビがきっかけで作ったというだけで、インスタみたいに「見て見てこれ!」で「ふふーん、それがどうしたの」となる覚悟で書いたのがこの記事である。

 他に自宅と実家合わせて4台の外部入力付14インチ・ブラウン管カラーテレビ(地デジ不可)が眠ってる。処分するには色々と選択肢はあるが、また木箱を作って入れてしまいそうである。リタイアしたアナログテレビのセカンドライフみたいなものかも。

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 今から20年前の竹原写真(デジカメ撮影)を引っ張り出してみた。

 

 先ずは西方寺の石段。「時をかける少女」で芳山和子(原田知世)が尾道からテレポテーション??で吾朗ちゃん(尾美としのり)に会いに降りてくる石段がここ。(77段か78段のはず)映画では近所がボヤで竹原消防署か消防団が登場していたが、その後、ボヤどころではない本当の火災で石段右側の家屋が焼失してしまった。 
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#09:西方寺の石段
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#08:西方寺の石段 


 次はその石段下にある「ほり川醤油」の看板。

 その堀川吾朗ちゃんが暮らしているのがここ堀川醤油である。映画ロケ用として造られた看板(のリプリカ)であり、原作では朝倉吾朗だが、監督が台本に手書きで堀川吾朗に変えたとのエピソードがある。(アド街ック天国で監督語る)

この写真と現在の看板を比べてみると木目が完全一致。20年前より新しく見えるのは大切にされているからであろう。レプリカの本物を見てみたい。 
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#06:堀川醤油の看板 


 次は「竹楽」となる前の空き家(古民家)である。外観は昭和そのものだが屋根は古民家、竹原の歴史資料によるとかなり古くからある建物のようだ。
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#01:旧村上邸  


 続いてお馴染みの(旧)日の丸写真館。道隣の梅谷呉服店も木造3階建であり、町並み保存地区へ続く玄関扉的存在となっている。1975年頃に実家の仏壇をここで購入したのを憶えているが、その頃既に写真館は新町へ移転していたようだ。
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#02:旧日の丸写真館 


 さすがにこれを見て懐かしがる人は皆無であろう。ここは旧三井会館であり、当時はここで色々とイベントが開催されていた。ウルトラマンショーは未だハッキリと記憶がある。いつしか更地になって市役所の駐車場となり、現在ここは誰も予想しなかったマクドナルドが建っているのである。
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#04:旧三井会館 


 最後は超難関の写真といえる。

 可動式の橋であり船舶がここを通過する際は橋の片側をハネ上げる構造である。ハネ上げ機構は既に無い。長らく二輪車歩道として使用されてきた明神の江戸堀に架かる明神橋だ。現在は、その隣に自動車も渡れるアーチ状の新明神橋が造られており、明神橋は役目を終えたと思われたが、撤去されずに新たな橋に架け替えられ継続利用されている。この橋がなぜ必要かは自転車(非電動アシスト)に乗って新明神橋を渡ればすぐわかる。
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#03:旧明神橋

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